ドラマティック・ファジアーノ

ファジアーノ岡山FCが、鹿島、浦和、千葉、川崎、横浜、清水、名古屋、大阪、広島よりも、幸せなことがひとつあります。
これらは、1993年5月15日にJリーグが開幕したときのクラブです。
「最初からJリーグがあった街」です。
ファジアーノはJリーグのない街でした。
Jリーグのある街のことをうらやましく思いながら、よその街に出掛けて、よその街のクラブを応援していた人も多いと思います。
あるいは、遠く海の向こうのリーグを見てサッカー通をきどったり、4年に1度だけ代表を応援してサッカー気分を味わったりとか。
岡山にもJがあればいいのに。
そんな岡山は、果たして不幸だったのでしょうか。
僕は違うと思います。
岡山はJリーグがなかったからこそ、街とクラブが一緒になってJへの道を歩んで行けるのです。
岡山県リーグから中国リーグ、JFLへと続く道はとてつもなく長いです。
その道のりの間には、出会いや別れ、悔しいことや悲しいことがあるでしょう。
そのひとつひとつは「ドラマ」です。
街全体がJリーグへの旅を通して、「ドラマ」を共有できるのです。
僕は今では、最初からJリーグがあった街のことをうらやましいとは思いません。
自らJリーグクラブをつくり出して行ける街の方が幸せだと思うからです。
ファジアーノのキャンバスはまだ、白いところがたくさんあります。
これから僕等は、この白いところを、様々な色で描いていくことができます。
悲しい青や情熱の赤、友情の緑や愛情のピンク。
ファジアーノがJリーグに辿り着いたとき、そのキャンバスはきっと、いろいろな人がクラブと共に歩んで来た歴史の色で、鮮やかな色に染まっていることでしょう。

2007年7月7日 21:14 » ブログ