僕らにできること

[mixi] ファジアーノ岡山FC | 僕らにできること
もしも何かの参考になればということで、昨年の開幕戦で、桃スタに5,000人集めようという計画をしたときの話をします。
もしかしたら、古参のサポが自分たちの功績を自慢しているだけだろう、と感じられる方がおられるかもしれませんが、もしそうだったら申し訳ないです。
僕は、サポーターに新しいも古いも関係ないと考えています。少しばかり早くファジアーノを知った者として、自分たちがどんなふうな工夫をしてきたかを伝え、それを後の時代の人に役立ててもらいたいと思っています。
この話は前提として、一昨年の地域決勝で熊本に行ったときの話から始まります。
熊本レポート・ロッソ編1部
熊本レポート・ロッソ編2部
当時の熊本は、ロッソに対する盛り上がりが尋常じゃなくて、今のファジアーノに近い空気がすでに一昨年前にありました。
その頃のファジをとりまく岡山の現状っていうのは、熊本に比べたらトロ火みたいなもんでした。
プロ契約の選手は一人もいない。スポンサーの数も少ない。観客はまばら。メディアでの報道はほとんどない。まわりの人は誰もファジアーノのことなんか知らない。そういう状況でした。
そういう熊本の、完全ホームの中で我々は予選敗退して岡山に帰ってきたんですが、熊本の現状を目の当たりにしてきたせいで「危機感」っていうのがすごく募ったんですね。
だから、「岡山をどねえかせにゃおえん」というような感じで、サポーターたちも少ない脳みそ使って一生懸命考えたんです。
でも何をすればいいのかわからないし、かといって何か身体を動かしてないと不安でしょうがないしで、岡山駅前やイオン倉敷でビラ配りをしたこともありました。当時はファジアーノのことを知ってる人がほとんどいなかったので、このビラ配りはかなり心が寒かったです。
クラブに公開質問状を突きつけようという話もあったんですが、僕らもクラブの苦しい内情を知ってたし、問題提起だけしてもそれを誰が解決するんだという話にたぶんなるだろうから事態の解決にはならないということで、これはお流れになりました。
まあ、そんなふうにちょうど今頃12月〜1月のオフシーズンを、僕らサポーターは「このクラブこれからどうなるんかな…」と不安な日々を過ごしていたのです。
ところで、プロスポーツっていうのは、観客、スポンサー、メディア、行政などいろいろなステークホルダーがいると思うのですが、これらの中のまずどこを強化するべきかということはみなさん考えられると思います。
例えば、先日の山陽新聞での一面報道にもあったように、ファジアーノには「お金がない」という現実がありますから、どこかのビッグスポンサーにお金を出してもらおうという考えもあるでしょうし、ここは行政に協力してもらうべきだという考えもあると思います。
メディアにもっと報道してもらえれば認知度が高まって観客も増えるという考えもありますし、こういうのって鶏が先か卵が先かみたいな話で、考え方は人それぞれです。
僕が考えたサイクルはまずは試合を見に行く人を増やすことでした。
観客が増えることで、それが社会現象になる。そうするとメディアがとりあげる。メディアがとりあげると、露出が増えるので企業がスポンサードしやすくなる。スポンサードが増えるとチームを強化できる。チームが強化できると……というポジティブなスパイラルを僕は期待しました。
とりあえず、サポーター会議(というものを当時はしていたのです)の席上で、僕は自分の考えをまわりの人に投げかけてみました。
「ファジアーノを変えていくために、まず最初にしなければならないのは観客を増やすことだと思うんだけどどう思う?」と。
みんなは、「その通り」と言ってくれました。
これで目的は決まりましたが、次に必要なのは目標です。
じゃあ一体何人集めればいいのか?という数値設定の目安としたのは、Jリーグの加盟条件であった「年間平均3,000人の観客」というものでした。
その数字をそのままあてはめても良かったのですが、どうせなら夢はでっかくもう一声!ということで、5,000人ということになったのです。
しかし、言うは易しで、まずどうやって観客を増やすのかというのは大変難しい問題でした。
だってそれが可能ならば誰も苦労はしませんからね。
当時のファジの観客っていうのは500人いれば多い方で、5,000人を動員するなんて夢物語に近いものでした。
サポーターだけでこのプロジェクトを実現させるのは難しいので、岡山の各方面からさまざまな人に集まってもらって「一木会」というものを立ち上げてもらいました(毎月第一木曜日に開催されるからこの名前になりました)。
当時、県内の様々なところで様々な人が「岡山からJリーグを!」という意思で活動をしていましたが、それぞれがバラバラの状態で全体としては機能できていない状態が続いていました。
そのため、マンパワーを結集して夢の実現に向けてアクションを起こそうということで、「わたしたちの街からJリーグを」を合言葉に若手支援者による研究グループとして「フットボール・フォーラム」が開催したのが前身です。
参加者は、行政関係や教育関係、財界関係など各方面で活躍されている方々でした。
その席上で、サポーターから「5,000人計画」を提案させていただきました。
さて、それからが大変。
もうやることがたくさんあって、ダンマク作ったり、Tシャツ作ったり、ポスターや招待券を作ったり。
ファジアーノ関係で毎週土日はつぶれたけど、それでも楽しかったです。
いろんな人のメッセージが書いてある「FORZA!FAGIANO」というダンマクはこのころ作ったものですし、ファジアーノのMDPが初めて登場したのもこのゲームからでした。
一木会の方々も、スポンサーまわりやメディア対応、ボランティアの組織など、みんな手弁当であちこちにかけずり回ってくださいました。
そうやってたくさんの人の協力のもと、2006年4月30日という歴史すべき日に「4,184人」という人が桃スタに集まったのです。
歴史的大観衆の中での快勝
最初にも書きましたが、僕はこのことを自慢したいのではありません。
こんなふうにしてきたよ、という事例をみなさんに知っていただいて役立ててほしいから書いています。
僕がファジアーノを通して学んだことは、こんなことです。

  • 暗いと不平を言うのは簡単。自ら進んで灯をともす。それをしないと何も生まれない。
  • 一人では出来ないことでもたくさんの力が集まれば可能になる。
  • 出来ることは人それぞれ違う。出来る人が出来ることをやる。
  • 出来ないことは学んで創意工夫すれば出来る。問題は私に何が出来るかではなく、何をやりたいか。
  • 何かを成すときに必要なことは、なぜやるのか(Why)、どうやってやるのか(How)。
  • 本当にやりたいことがあるなら、一生懸命考えればおのずと答えは出る。
  • 自分に出来ないことはまわりの人に協力してもらう。そうすれば後に残るのは感謝だけと知る。
  • 誰かがやってくれるだろう、なんとかなるだろう、では誰かに迷惑をかける。言い出しっぺが責任と覚悟を持って進めないと物事は進まない。
  • ファジアーノの名前を使って何かをする以上、サポーターといえども最後まで後始末する責任がともなう。
  • ファジアーノのエンブレムはみんなのもの。関わってきたたくさんの人の想いが詰まっている。自分だけのものではない。
  • ムーブメントは簡単に起きない。人に動いてもらうためには、誠意と情熱と信頼が必要。
  • Webだけでムーブメントが起きると思うのは幻想。人と人とが現場で顔を合わせ手をつないでこそ、共に行こうという意思が生まれる。
  • ゆえに、ファジアーノは人と人との関わり合いで成り立っている。

[mixi] ファジアーノ岡山FC | 僕らにできること

2007年12月18日 23:25 » ブログ