「僕らの街には夢がある」

JFL昇格が決まった瞬間、この横断幕はスタンドからピッチに虹を描くように投げ渡された。
受け取った選手たちは、横断幕を堂々とひろげた。
そして、横断幕はある選手の首にかけられた。
選手が昇格を喜びあってる場所に共にいた。
彼らが……。
これは、選手たちとサポーターの約束だった。
この横断幕には、色んな角度からこのクラブを支えてきた人々の想いが書かれている。
例えば、今までこのクラブのユニフォームを着た選手たち。

藤井一昌は、「俺たちの夢」と書き、「ファジアーノをよろしくお願いします」と言った。
石川哲平は「魂だけは置いてきました」と書き、広島まで応援に駆け付けた。
藤井陽介は「夢」と書き、今でも試合に駆け付けている。
リバーフリーキッカーズに所属していた選手たちも書いてくれた。彼らはクラブを離れても今でも共に歩んでいる。

他にも、三菱自動車水島FCの選手達もメッセージを書いてくれた。
「最後まで戦え、JFLで待っている!」。
岡山ダービーの実現を彼らは夢見ていた。

クラブハウスで働くバイトの二人も書いてくれた。
「出会いは必然」。
彼女らにとって、ファジアーノは単なるバイト先ではなくなっている。選手全員が、現地に行けたのは彼女たちがいたからだ。地域決勝の直前に美作合宿があった時、選手の代わりシフトに入っていた。「パークの留守番をしっかりします」彼女らはそう言って皆を送り出した。

他にも、色んな形でクラブを支えている人たちの想いが書かれている。
選手が家族みたいに安心して訪れる、RoniRoni一家のメッセージもある。

ボランティアの人たちのメッセージもある。

熊谷に行きたくても行けれなかった仲間達のメッセージもある。あるファジアーノ専属カメラマンは、これらのメッセージを見て涙が止まらなくなっていた。
どれもこれも重く深い言葉たちばかりだ。
さて、話を12月1日に戻そう。
ファジアーノはPK負けをした。試合後のスタンドでは第2試合を見る選手たちがいた。
僕は、仲間に「ちょっと行ってくるわ」と席を急に立ち、横断幕を持って伊藤選手の所に向かった。
今、思えば何でそんな行動にでたのかわからない。ただ、体が動いていた。
伊藤選手のすぐ近くには青山選手がいた。隣にはジェフェルソン選手もいた。
僕は伊藤選手の近くで言った。

「見せたいものがある!」
夢の近くに書かれた昨年のメンバー達のメッセージを見せた。伊藤選手は、その横断幕を見て、「やばい」と目に涙を浮かべていた。伊藤選手は僕に向かって力強く言い放った。
『これを明日投げてほしい。体に巻きたい。』
その言葉の意味は、これだ。
「今年のメンバーだけで、地域決勝に来れたのではない。横断幕にメッセージを書いた彼らがいたからここに来れたんだ。だから昇格の瞬間を彼らと共に味わいたい。彼らとJFLに行きたい。」
伊藤選手は、今でも、昨年のメンバーの映像を見ると涙が溢れてきてヤバくなる話もしてくれた。
僕は、伊藤選手に言った。
「去年の涙を忘れていない。明日、あんな涙を流させはしない。横断幕は投げる。だから勝とう!」
伊藤選手は、力強く握手で応えた。
その後に、川原選手や重光選手の所に向かった。昨年までの選手たちの想い、子どもたちの想い、支えている人たちの想いを語りかけながら横断幕を見せた。2人とも力強い目と握手で応えてくれた。彼らと話した後に、明日は必ず勝てると確信した。
木村社長にも横断幕を見せた。
社長は、全メッセージを一文字一文字読んでいた。昨年のメンバーのメッセージを嬉しそうに読んでいたのが印象的だった。少し涙を浮かべながら「これは凄すぎます」そう言って社長は力強く握手をしてきた。
僕は、1年前と同じ思いをするのは絶対に嫌だった。
みんなの悔し涙を見るのも嫌だった。
僕は、今の選手でJFLに行くと決めた、フロントの人たちをオトコにすると決めた。
みんなで置き忘れてきたものを掴みに熊谷にきた。
だから、この横断幕の事を伝えずに後悔だけはしたくなかった。

当日の朝、会場入りする選手とスタッフ全員が見えるようにサポーターと入口前で横断幕を掲げた。
あるスタッフは、じっとその横断幕を見ていた。伊藤は、その横断幕を見た瞬間に表情が変わった。
ある選手は、試合後に言った。
「あれを見た時に、僕らの街、それががすんなりと受け入れられた。」
試合は誰ひとり折れない心で戦い抜いた。
まるでファジアーノに関わってきた全員が戦っているようだった。
試合終了間際、その横断幕を柵から外しサポーターの最後尾で掲げた。
僕らの街の仲間達の最後尾で、高く高く掲げた。
ある選手は、思わずそれが目に入ってきたそうだ。

JFL昇格が決まった瞬間には、最前列で横断幕を掲げた。
その時、サポーターへ挨拶にくる選手の中から1人の男が走ってきた。
「投げてくれ!」
伊藤選手は手で合図しながらそう言った。
僕は、横断幕を伊藤に全ての人の想いを乗せて投げた。

そこに素早く駆け寄ってきたのは、重光選手だった。2人で横断幕をひろげ、僕たちに見せた。
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『僕らの街には夢がある』
よく見ると、チャンガン選手も持っていた。
「スタンドで吠えてるサポーターは俺らと一緒に戦ってると俺は思う…」
かつてチャンガン選手はそう言った事がある。

伊藤選手は、その横断幕を首にかけ涙を流していた。
選手が円になって高らかに歌った時も、選手が一列になり写真を撮られていた時も、選手がサポーターに挨拶した時も、横断幕は共にあった。

川原選手は、僕がエンブレムを叩き、拳を突き出すと、応えるかのように拳を突き出した。
一昨年も昨年も、選手たちをJFLに連れていってやれなかった。
今年、メッセージだけだったが、あの場所に彼らを連れていくことができた。
僕は思う。
JFLに行ったのは、今の選手たちだけでも、今のサポーターたちだけでもない。
ファジアーノに関わってきた全員の力でJFLに行ったのだ。
ファジアーノに関わった人たち、岡山サッカーを支えてきた人たち、その人たちがいたから12月2日があったのだ。
そのことを選手たちも、今ファジアーノに関わる人たちも知っている。
だから、ファジアーノは素晴らしいクラブなんだ。
この場を借りて全ての人に感謝します。
横断幕製作に携わった猿会のメンバー、メッセージを書いてくれた仲間達……、ありがとうございました。
この横断幕を作った時に、こんなにも重たくて大切なものになるとは思っていませんでした。
目立つところに張らせてくれた仲間たちにも感謝します。
そして……、約束果たせてよかった。ありがとう。
君達とJFLに行けたこと。
僕は、この日を忘れない。
「僕らの街には夢がある」
僕にとって、それは大切な友だちがいるってこと。
その街が好きってこと。
伊藤選手が横断幕を返しにきてくれた時、未来のファジアーノが近寄っていった……。

この話には続きがある……。

2007年12月9日 21:20 » ブログ