ファジアーノの歴史

ファジアーノ岡山FCの歴史を辿ると、川崎製鉄水島サッカー部、そしてRFK(リバーフリーキッカーズ)というクラブに行き着きます。ファジアーノを古くから見てこられたサポーターの方に、思い出話を聞いてみました。
■1966年
川崎製鉄水島サッカー部設立
■1975年
川崎製鉄水島サッカー部OBにより新たにR.F.K(リバー・フリー・キッカーズ)結成
■1987年
川崎製鉄水島サッカ−部より川崎製鉄サッカ−部に改称
■1994年
JFL参加
■1995年
1月1日本拠地を神戸市に移してヴィッセル神戸としてスタート。
この際、川鉄サッカー部の選手が多数出向の形でヴィッセルの選手として神戸へ。(この時点で川崎製鉄サッカー部消滅)
同月17日に阪神大震災が発生し2月に倉敷市で練習を開始。福田公園で練習していたのを見に行きました。
■1996年
出向していた選手のほとんどが倉敷に帰省しR.F.Kに加入しサッカーを続ける。
この頃から私はリバーの試合観戦を始めました。
いつも観客は数える程でしたし、雨の日は私達2人という時もありました。
— その当時、RFKのプレースタイルはどんな感じだったんですか?
4−2−2で、サイドバックがオ−バ−ラップ、パス交換して相手の裏を抜き、センタリングに合わせるという形と、中盤を省略してDFから縦パスを藤井英樹に合わせ落としたボールを他の選手がシュ−ト。こんな感じだっと・・・
— どんな選手がいたんですか?
現在、審判をされているDF・黒川俊博。
ヴィッセル神戸ファンクラブ会報第一回の表紙を飾ったFW・藤井英樹。
高木琢也の弟、DF・高木功。
一昨年までファジに在籍していたMF・丸野勝一郎。
出向社員ながらJリ−グデビュ−したGK・兼本正光。
もちろん酒井靖雄などなど・・・
— 試合を観に来てる観客はどういう人たちだったんですか?
川鉄の社員で選手の知り合いの方とか、家族の方とかですかね。
私達がいつも観戦していた場所には私達2人を入れて多くて4〜5人でしたね。
— 印象に残ってる試合はありますか?
2003年R.F.Kとしての最後の年を岡山県1部リ−グを優勝で終了。
中国地域県サッカ−リ−グ決勝大会を米子まで観に行ったのですが、雨が降ってすご〜く寒い日で日立笠戸相手に、先制され同点に追いつき。
逆転したものの再度追いつかれて、終了間際に得点され敗退・・・
試合終了後に青山が悔し泣きしていたのが未だに忘れられません。
■そして、2004年
R.F.Kを母体に岡山からJを目指すファジアーノ岡山FC設立。現在に至る。
■参考リンク
ファジアーノ岡山FC – Wikipedia

2007年4月14日 21:02 » ブログ