去年の悔しさ、忘れてないよな?

去年、地域決勝を敗退して、岡山に戻ってきた翌日に書いたブログがあります。
タイムスタンプは2006年12月4日(月)となっていて、タイトルは「(Just Like) Starting Over」となっています。ジョン・レノンの歌の題名で、「再出発」という意味です。

もうひとつの記事は「ブログを再開した理由」というタイトルで、3日後の2006年12月7日(木)に書いたものです。

これらの記事を書いた理由は、今このときの素直な気持ちを書いておいて、1年後に読み返そうと思ったからです。家に帰ってからひとりで泣いたこの気持ちを、絶対に忘れたくないと思ったのです。
1年後にこのブログを読み返したら、次は絶対にJFLに行けると思ったし、そうするために書いたんです。

せっかくなので、みなさんにも読んでほしいと思い、ここにまるごと転載することにします。
オリジナルはこっちこっちです。

(Just Like) Starting Over

地域リーグ決勝大会の敗退とともに、ファジアーノの2006年シーズンは終わりました。
昨夜ウルトラスでカリスマに報告したのち、無事帰宅しました。
お土産を持って帰ることは出来ませんでしたが、選手たちは最後の瞬間まで諦めず全力で戦ってくれました。
ほんと、チームとサポ、それからフロントの人たちをはじめ、大勢の人たちの絆が固結びみたいにがっちりと結束している素晴らしいクラブだということが今回の旅でよくわかりました。

遥か遠くから念を送ってくる仲間たちのことが、現場にも確かに伝わっていました。
俗に言う「念を送る」とは、目に見えぬ思念が空間中を伝わっていくというような非科学的なオカルトをイメージするだろうけど、それはどうも違うようです。
「念を送る」とは、遠くにいる仲間のことを互いに気遣うという「誇友結束」のことなのかもしれません。

彼らは現場にいないけれど、でも確かにそこにいるのです。
そういう想いはサポだけが持っているのではなくて、このクラブに連綿とつながる歴史の中で関わってきたすべての人が、「みんな同じ気持ちを持っている」と知っているのです。
ピッチ上の選手たちもその想いを感じて戦っていました。
彼らは、いろんな人の想いを背負って、土のグラウンドで練習したり、ピッチの上で真剣勝負を繰り広げているのです。

このクラブは、誰もが自己の満足や都合のために勝利を願っているのではありません。
あの人やあの人とともにクラブの輝かしい未来を共有したいと思って、各自が行動しているようなのです。
試合が終わると、みんなが携帯を片手にメールし合ったり、電話し合ったりして出来事を報告します。
その報告は、自分の家族にかもしれないし、友達にかもしれないしそれはいろいろあるだろうけど、とにかく、そうやって自分以外の人の想いを各自が知っていて、ひとりひとりの想いが互いに共鳴しあって大きなうねりとなり、このクラブを躍動させているように僕は思えるのです。

あるサポが言ったそうです。
「試合が終わってすごく泣いた。知らないうちにファジのことが大好きになってたみたいです。」
なんて素直で素敵な言葉なのでしょう。かく言う僕も同じ気持ちです。

「ファジアーノ」とは、監督、選手をはじめとするチームのことを指すのでも、チームを運営する株式会社のことを指すのでもありません。
クラブのこれまでの歴史、起こったすべての出来事、関連するすべての要素をひとくくりにして「ファジアーノ」と称しているのです。
ファジアーノとは、今まで関わってきた人たちの想いです。

独りでファジアーノを応援していたって、それほど楽しくはないはずです。
同じ想いを共有できる仲間がいるからこそ、みんなの願いが痛いほど分かるからこそ、昇格を逃したことで泣けたのです。
今までの歴史の中で、楽しい出来事や悔しい出来事がこれまでにたくさんあったけれど、そういうことをみんなで共有し合ってきたから「このクラブが大好き」と言えるのだし、そういう感動の分かち合いがドラマチックで楽しいと感じているのだと思います。

ある記者が「このクラブを応援していて良かったことは何ですか?」と聞いたら、多くのサポが同じように、「友達がたくさん出来たこと」と答えたそうです。
「サッカーは友達を作るスポーツ」とはよく言ったものです。

そういうかけがえのない絆は、どんなにチームに負けがこんでも崩れることがありません。
かけがえのない絆の中には、サポ同志の結束はもちろんのこと、選手とのつながりや、フロントとのつながり、それから、大分まで来てくれて紙面を大きく割いてくれた大勢のメディア関係者、ホームゲーム開催に欠かすことの出来ないボランティアスタッフ、クラブの理念に賛同し支援してくださる経済界関係者、協会関係者、行政関係者など多くの人がこのクラブとの関わりがあります。
立場は違えど、みんなが同じ想いを持ってこのクラブと関わっているのです。
みんながまっすぐ未来を見つめて、Jリーグクラブが岡山に誕生することを願っているのです。

このクラブを通じて何人かの記者の方と出会いましたが、記事のマス目が埋まればそれでいいと冷めた気持ちで書いている人はひとりもいません。
彼らは、自分が持つペンの力を使って、岡山のサッカーに少しでも貢献したい、読者にこの胸躍る感覚を伝えたいと思っているのではないでしょうか。
ある意味、新聞記者個人もひとりのサポーターのようなものなのかもしれません。
でなければ、あんなに気持ちのこもった記事は書けないはずです。

ブロガーや現地から速報を流している人にしてもそうです。
彼らは自分のために書いているのではありません。
このクラブの動向を気にしている「誰か」のために、今日もまたブログを更新したり速報を流していることを僕は知っています。

また、こんな話もあります。
今はJFLで戦っている同じ岡山のサッカーチームのサポが、「JFLで待っているから」とファジアーノのサポに言ったそうです。
みんなにも経験があるはずでしょう。自分のためではなく、自分のことを思ってくれている人がいるから頑張れるのです。
そういう、人と人とのつながりが、この土地の文化を創っていくのだと僕は思うのです。

以前、JFAの人が言っていました。
「多くの人と関わりを持つこと。そうすればこのクラブの存在は揺るぎないものになる。」
その意味が分かったような気がします。

今まで、このクラブと関わりをもった大勢の仲間たちが、この町の公共財であるクラブを中心につながり、楽しい出来事や悔しい出来事を共有し、一緒になって今まで笑ったり泣いたりしてきました。そして、それはこれからも変わらないことでしょう。
みんなの絆が強いからこそ、このクラブのサポは選手に対して罵声を浴びせたりはしません。それは、自分の家族に対して罵声を浴びせるようなものになるからです。

いつの日か、このクラブが桃スタでJリーグのゲームを戦うときが来るでしょう。
桃スタには2万人しか観客を入れられません。
その記念すべき日、運悪く仕事があったり、どうしても外せない用事があったりして、試合を観戦できない人もいることでしょう。
しかし、ゲームが行われているその瞬間、桃スタには岡山県民200万人の想いが結集するはずです。

そして、楽しい出来事や悔しい出来事を共有している仲間たちが知っている、大事なことがあります。
それは、「このクラブには夢がある」ということです。
だから、どんなに悔しい出来事を経験しても、その先にある未来を夢見ることができるのです。
今までそうやって色んなことを乗り越えてやってきたし、これからもきっとそうです。
トイレでひとしきり泣いたら、よし、また最初からがんばってみっか!と言えるのは、夢があるからです。
トイレで泣いた君!試合終了のホイッスルはまだ鳴っていない!
それはずっとずっと先の話だ。
これからもみんなで夢を共有していけばいい。
まだ何にも終わってないし、誰かが言ったように、諦めなければ夢はきっと叶うはずなんだ。

あ、そうそう。会場で酉サポの人と少し話をしました。
「地道にこつこつと頑張っていけば、必ずサポは増えます。けれど、そうやって増えた仲間の中心で、このクラブをずっと先まで引っ張っていくのは、今回この地域決勝大会にまでやってくるようなコアなサポたちです。がんばってください。」と励ましてもらいました。
あと、「岡山の応援はかっこよかったですよ」とも言ってもらえて、それがちょっと嬉しかったです。

日本最高峰のリーグへは、そんなに簡単には辿り着けないようです。
現在、Jリーグを目指すクラブは日本に50以上あると聞いています。
今回の大会でも、多くのクラブが我々と同じようにいろいろな人のいろいろな思いを背負って、ぶつかりあっていました。
我々だけが特別なのではなくて、夢を求めて泣いたり笑ったりしてるドラマが日本中にあるのです。
そんな多くのクラブ同士の戦いを制し、今回見事JFL昇格を決めたTDKサッカー部には、ぜひ新しい舞台で活躍してほしいと思います。彼らのサッカーは、昇格に値する本当に見事なサッカーでした。

今回の敗退は、後日必ず意味を持ってくる敗退になります。
それが歴史になって、このクラブをこのクラブたらしめんとする同一性になってくるのです。
そういう歴史が積み重なっていけば、僕等は僕等のクラブをもっともっと誇りに思えるようになるでしょう。
日本中のクラブがそんなふうに独自の歴史を作り、日本のサッカーは百年構想を実現させていくのです。

さあ、また来年、イチからやり直しです。
今年1年いろいろとお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

最後になりましがが、朝日新聞の小野さん、みんなの想いが詰まった素敵な記事を書いていただいて、どうもありがとうございました。

ブログを再開した理由

大分から岡山に帰ってきて、mixiの日記に報告を書こうと思って作文してたのです。
僕のmixiは「友人にまで公開」になっているから、身内にただいまを書くような感じで気楽な感じだったのです。
あー、負けちゃったよー。でも来年また頑張りますー。みたいな軽い感じで。
終わったことを重々しく書いたってしょうがないじゃん、って思ったし。
それに、天の邪鬼な性格なので、他の人が重々しくしてると逆のことしたくなるんですよね。

ぶっちゃけた話、向こうにいるときはがっくし来たけどそれほど実感が湧かなかったんですよね。
TDK戦にPKで負けたときも、まだ長崎と岐阜の結果次第では入替戦に行けるっていう希望があったし、それで長崎が負けた時もある程度覚悟をする時間がもててたから、あー、決まったかー、よし切り替えてまた来年も浜田行こうぜー!って感じだったんです。
基本的には切り替えが早い性格なんで。
脱力感はあったけど、悲しくはなかった。

で、作文しながらいろんな人のブログを読んだり、掲示板の書き込みを読んだりしてたんです。
そしたら、今さらながらいろんな想いが込み上げてきて。
それで、やっと涙が出ました。

Google ブログ検索で「ファジアーノ」を検索すると、僕の知らないブロガーの人たちの作文がたくさん出てくるんです。
ファジアーノの勝利を遠く岡山の地から、僕の知らない大勢の人が強く強く願っていたんですね。
いつのまにか、この1年でファジアーノを認知してくれる人がものすごく増えてました。

そういう人たちが作文の最後で締める言葉っていうのが、「今年1年ありがとう」とか「現地まで行ってくれたサポごくろうさま」とか、そういう感謝の言葉なんですよね。
それを読んでたら、今になってようやく涙が出てきたのです。

そしたら、ただいま作文のつもりで書いてた日記にだんだんいろんな想いが詰まってきて、ものすげ−長文になってきたんです。
そんで、あ、これは身内に読ませるだけじゃなくて、僕にも何か伝えることがあるかもしれないって思ったんです。

今まで、誰かに余計な詮索をされたくないってことで、mixiも友人まで公開にしてたけど、僕がファジアーノを通して見たことや、知ったこと、感じたこと、楽しかったこと、そういうのを伝えなきゃいけないのかもしれないって思ったわけです。
それで、すぐにブログを作りました。

最初の作文のタイトルは、「(Just Like) Starting Over」とつけました。
これは、僕の好きなジョン・レノンの歌の題名で、「再出発」という意味です。
地域決勝で敗退して、また来年イチから出直しということで、今の気持ちを書き留めておくためにこのタイトルにしました。
今年1年で、ファジアーノは大きく前進しました。
来年の今頃はもっともっと大きく羽ばたいているはずです。
そのとき、一番最初の作文を読みなおして今の気持ちを思い出すことが出来たなら、今度は必ずJFL昇格を実現させることができると思います。
新しい1年がどんな風に変わっていくか、今から楽しみです。

2007年11月27日 22:52 » ブログ