今こそ伝えたい「歴史」がある。

 11月8日のSAGAWA SHIGA FC戦と、11月23日の栃木SC戦の試合告知チラシの制作を、ファジアーノサポーターがお手伝いさせていただきました。

 SAGAWA SHIGA FC戦の前に、フロントスタッフの方からこんなお話がありました。
 「昇格がだんだん現実のものとなってきた今、今度の試合には今まで以上に集客に力を入れたい。これまでのような試合日時告知だけの内容ではなく、今度のチラシではファジアーノのもっと奥深いものを伝えるような紙面にしたい。イメージとしては、いつも試合会場で配布されるマッチデープログラムに載っているような文章。熱い文章で岡山の人の郷土心に訴えかけたい。」ということでした。
 そんなものを街行く人に配っても果たして読んでくれるかどうか僕には不安がありましたが、「いつもチラシを配っているが、みなさんちゃんと読んでくれている。多少長い文章でもきっと読んでくれる。」という意見もありました。
 最近新しく入社された営業社員の方には「マッチデープログラムのあの熱い文章が試合会場でしか読めないのはもったいない思っていた。あれはもっと大勢の人に読んでほしい。」という言葉に勇気づけられ、また女性社員の方には「今こそ川鉄からの歴史を伝えるべきです」という言葉に感動も覚えました。
 余談ですが、こんなとき、ファジアーノのフロントスタッフの方は本当に熱い人たちばかりだなあと感じます。もしかしたら、どんなサポーターよりもファジアーノを愛している人たちなのかもしれません。

 とにかく、そのような経緯があって、ファジアーノのサポーターとして、オフィシャルな発行物であるチラシの原稿執筆を手伝わせていただきました。
 大変責任ある仕事で、書いては消し、消しては書き直しという作業でしたが、結果的には、読んでくださった方から「感動した」「これは永久保存版だ」という言葉をいただきました。

 さて、そういうわけで今回、このFORZA!FAGIANOにその全文を掲載したいと思います。
 理由としては、単純に1回のチラシ配布で終わらせてはもったいないという意見があったのと、多くの方にこれを読んでいただいてファジアーノのことを深く知っていただきたいからです。

 以下、チラシからの転載です。

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11月8日 対SAGAWA SHIGA FC戦 集客チラシ

今こそ伝えたい「歴史」がある。

その“瞬間”のために、岡山とともに歩んできた道のり。

 岡山に住むあなたに伝えたいことがある。
 これは、サッカーの話ではなく、「晴れの国・岡山」を愛した人たちの物語である。
 今から42年前の1966年、ひとつのサッカー同好会が静かに生まれた。その名を川崎製鉄水島サッカー部と言う。後にリバーフリーキッカーズ、そしてファジアーノ岡山とつながる系譜の始まりである。岡山という街の情熱を産み、育て、襷を繋げてきた知られざる歴史がここにある。

 王貞治がホームラン世界新記録の756号を達成した1977年、川崎製鉄水島サッカー部(以後、「川鉄」と表記)は、岡山県リーグ1部を優勝し、中国リーグに昇格した。中国リーグで5回目の優勝を果たした1985年、日本サッカーリーグ(以後、「JSL」と表記)に昇格。その後、岡山のサッカーシーンを引っ張る存在として全国を舞台に戦っていた。
 1993年、日本初となるプロサッカーリーグ「日本プロサッカーリーグ(以後、「Jリーグ」と表記)」が華々しく開幕した。各地で、Jリーグチームの誘致活動が活発になる中、当然川鉄の名前も挙がった。岡山では、有志で結成された「カモンJ」という組織を中心に、岡山初のプロスポーツチーム誕生に向け活動がおこなわれた。
 一方、神戸でも同じように誘致活動がおこなわれ、街の力が争われた。そして1994年、川鉄は神戸をホームタウンとするクラブの元でJリーグに向けて活動する意向が発表された。岡山の川鉄は、ヴィッセル神戸という名になり、神戸の街に夢と希望を与えるクラブとなった。「岡山のみなさんありがとう」。その言葉を残して岡山のチームだった川鉄は旅立った。理由がどうであれ、岡山の街の力は神戸の街の力に負けた。それ以来、岡山にプロスポーツチームが誕生することも無く、十余年という年月だけがただ空しく流れていった。

 しかし、この街には脈々と流れる情熱という血があった。踏まれても踏まれても立ち上がろうとする岡山魂があった。
 1975年、川鉄のOBらによってリバーフリーキッカーズ(以後、「RFK」と表記)というサッカークラブが結成された。RFKは、川鉄OBだけでなく、岡山の高校や大学出身者からも構成されたクラブチームとして活動していった。川鉄移転後も、彼らは指導者や選手として、いつか来るべき日の為に情熱を絶やすことなく歩み続けた。そこには、この街にスポーツ文化を根付かせていこうという想い、川鉄の悔しさを元に岡山の力を蓄えようとする気持ちがあった。

 2004年、岡山国体を契機に、再びJリーグ入りを目指すクラブが誕生する。「ファジアーノ岡山」である。
 母体となったクラブは、川鉄の流れを汲むRFKだった。その中には、かつて神戸移転時に川鉄でプレーしていた選手もいた。また、川鉄のOB達に育てられた選手もいた。恩師が果たせなかった夢を、教え子たちが叶えようとしていた。あの日、潰えた夢を叶える旅が、再びこの年から始まった。

 その旅は、決して楽な道のりではなかった。土のグランド、注目度も低く、観客も数える程しかいない中、スタートしたクラブ。何度も何度も、歩みを止めてしまいそうな危機に陥った。「県民性」「谷間の地域」「岡山にJは無理」——。数えきれない言い訳が彼らに投げ掛けられた。それでも、このクラブに関わる人間は、諦めることができなかった。何故なら、過去から引き継いできた夢と理念があったからだ。このクラブが誕生して以来、その夢と理念を追いかけ集まってくる若者たちもいた。彼らは「岡山の誇り」を胸に、この街の戦士として県内外からエンブレムの下に集った。ある若者は「生まれた故郷のために」と帰岡し、ある若者は「自分たちの子どものために」と生活環境を犠牲にして戦い続けた。

 ファジアーノは川鉄が歩んだ道と同じように、県リーグから中国リーグに昇格する。その後、2度JFL昇格をかけた地域決勝大会に挑むが、その前には高い壁が立ちはだかった。
 2005年には、熊本(現ロアッソ熊本、J2)の前に破れた。岡山のサポーター10人にほどに対し、熊本側は何千人の観客。ファジアーノの試合でそれだけの観客が集まったことなどなかった。熊本はリーグ戦でも毎試合コンスタントにそれぐらいの観客を集めているという。この現状を冷静に受け止め、「岡山をどねぇかせんとおえまぁ」と岡山の各方面から多くの人が集まった。サッカーで負けた以上に、街の力で負けたことが悔しかったのだ。

 翌年の2006年初め、危機感を抱き集った人たちやクラブやサポーターが協力して観戦を呼びかける活動を行った。その結果、4,184人の大観衆が見守る中シーズンが開幕。昨シーズンまで数える程しかいなかった観客が、岡山魂の力が集結したことによって未来が切り開かれた瞬間だった。同じ年、運営組織がNPO法人から株式会社に移行し、名実ともにクラブは基盤を作り始めた。
 二度目の挑戦となったこの年の地域決勝大会。岡山はまたしてもJFL昇格を逃した。大分で人目も気にせず大号泣する人たちがいた。あるサポーターはテレビの取材に対し、「ファジアーノは俺たちのチームではなく、岡山みんなのチームなんです」と語り岡山の力を呼び掛けていた。決勝大会の地である大分にいた岡山県民はわずか数十人ほどだった。その数十人は、負けたことよりも、街の力でチームをバックアップできない歯痒さを感じていた。
 シーズン終了後、チームのプロ化を決断したクラブの意向に伴い、多くの選手がチームを退団した。岡山の夢を叶えていくための苦渋の決断。それは、夢を現実にしようとするクラブの覚悟を示したものだった。それを理解したあるサポーターは、横断幕に退団選手たちのサインを集め、この横断幕とともに彼らをJリーグへ連れていくと約束した。「俺たちの夢」と抱えたこの横断幕は、彼らの想いとともにスタジアムに掲げられている。
 岡山のクラブには、仲間を思いやる人たちが多くいる。選手は、サポーターをJリーグに連れていきたいと言う。サポーターは、選手とフロントをJリーグに連れていきたいと言う。全員が、岡山をJリーグに連れていきたいと言う。

 2007年、ファジアーノは死闘を勝ち抜き、念願だったJFL昇格を果たす。岡山から遠く離れた埼玉の地には、何百人もの岡山魂が集結し共に喜びあった。
 Jリーグクラブからファジアーノに移籍してきたある選手は、戦いを終えた後、次のシーズンも契約を延長することにした。なぜこんなクラブで来年もやろうとしたのかと聞くと、「岡山には夢があるから」と彼は言った。

 今、ファジアーノは全国を舞台に戦っている。いつ頃からか、その活躍と比例するように、この街に「オカヤマ」を連呼する老若男女が現れ始めた。「今までは岡山出身と言うのが何となく気恥ずかしかった。でも今は岡山を誇りに思う」そんなことを言う人もいる。それは、この県内に在住する人に限らず、故郷岡山から離れて暮らす人たちにまで及んだ。岡山のクラブが人と人を繋げ、岡山と人を繋げている。
 私たちの街のクラブは、都会にあるようなビッグクラブでもなければ、財政的に裕福なクラブでもない。しかし、どこの街のクラブにも負けないものを持っている。このクラブの周りには、人と人の関わりを大切にする人たちがいる。先人たちが夢をつなげてきた歴史がある。このクラブは夢を与えるクラブではない。街と共に夢を叶えていくクラブだ。夢が街を造っていくのだ。

 十余年前のあの日、岡山はチャンスを逃した。そして今、同じように岡山が試されている。
 たかがサッカー。そうだろうか? 戦っているのは「たかがサッカーチーム」ではなく、岡山という街なのだ。だからこそ、ただのサッカーファンではなく、岡山を愛する力を必要としている。この岡山を、未来の子どもたちが誇れる街にしたい。そのためには、誰かが何かを変えてくれるのを待つようなことはやめたい。「県民性」という言い訳は言いたくない。岡山には岡山にしか出来ないやり方があるはずだ。

 僕等のホーム、桃太郎スタジアム。
 そこには夢を共有する感動がある。街がひとつになる興奮がある。見知らぬ人と人が喜びと悔しさを分かち合う温かさがある。
 岡山の誇りを背負って戦う選手たちを、スタジアムでその目に焼き付けてほしい。岡山は、あなたの力を必要としている。

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11月23日 対栃木SC戦 集客チラシ

ファジアーノの未来は、僕等の声で創っていける。

 相手選手の蹴ったボールが、ファジアーノのゴールに吸い込まれた。
 一瞬の出来事——。先制点。

 時間が止まったような感覚に襲われ、声を出すのも忘れてしばらくピッチを眺めていた。ゴールを決めた選手にチームメイトが駆け寄り、笑顔で肩を叩き合っている。うなだれるファジアーノのゴールキーパー。「はぁ…」僕もため息をついてうつむきそうになった。そのとき誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 「ファージアーノ!」

 ハッと我に返る。そうだ、声を出さなきゃ。絶対に諦めちゃいけない。選手よりも先に僕等サポーターが切り替えて、僕等の力で勝たせなきゃ。僕も顔を上げて一緒に声を出す。「ファージアーノ!」まわりから次々と声が上がる。声がどんどん広がっていく。「ファージアーノッ! ファージアーノッ!」。スタジアムが少し揺れた気がした。

 サポーターの声援で試合の勝ち負けが変わるのか、それは僕にはわからない。だけど、僕の発した声や手拍子がどんどん広がっていってスタジアム全体を巻き込んだ大声援に変わるかもしれない。もっと大げさなことを言えば、岡山という街全体を包み込むような何かが沸き起こるかもしれない。

 岡山にJリーグクラブを作る。

 ある時誰かがそんなことを考えた。最初は一握りの人たちによる無邪気な夢だったのかもしれない。でも、ファジアーノの持つ「夢」という言葉に吸い寄せられて関わりを持つ人が少しずつ増え、4年かかってここまで来た。初めは岡山県リーグ。次に中国地域リーグに昇格した。今は全国を舞台にアマチュア最高峰のJFL。もう少しで日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に手が届きそうなところまで来ている。今まで多くの人が知恵を出し、汗を流し、人と人とをつなげ、ホームへアウェイへと出掛けて声を枯らし、大事に大事にこのクラブを育ててきたのだ。

 Jのない街にJを作るという途方もない夢。
 「諦めなければ夢は叶う」と人は言う。
 本当にそうなのだろうか? 本当だったら素晴らしい。だけど、僕等は大人になるにつれて、現実という壁を前にして夢を諦めていく人々を幾度となく見てきた。それでも僕等はファジアーノを通して夢を見続けるし、前を見て歩こうとする。なぜだろう?
 今、ファジアーノは夢を叶えようとしている。諦めなければ夢は叶うということを、証明しようとしている。もしファジアーノの夢が本当に叶うのなら、今度は僕等が、僕等自身が個人的にかかえている叶わぬ夢だって叶うものになるかもしれない。その自信と勇気を確信できるかもしれない。だから僕は声を出してファジアーノを応援し続ける。僕一人の声で試合の勝ち負けを左右するには心もとないけれど、岡山を愛する人が集まれば叶えられる夢だってあるはずだ。そんな風にして、老若男女を問わずファジアーノを応援する人々が今ではたくさんいる。

 たかがサッカー。
 だけど、そんなたかがサッカーの産み出す勝ち負けのドラマに涙を流すサポーターがいることも確かだ。大の大人が涙をぼろぼろこぼして悔しがっている。そんな大人を見て、子どもたちも彼らながらに、諦めなければ夢は叶うということを感じ始めている。たかがサッカーだけど、ファジアーノにはそんな風に岡山の人々や子どもたちの心を震わせる何かがあるようなのだ。

 僕等はこの街に百年続くクラブを作ろうとしている。僕等が老いても、僕等の子どもや孫が岡山の街を誇りに思えるようなクラブを創ろうとしている。どこかの街の誰かのクラブではなく、僕等の街の僕等のクラブを創ろうとしている。ファジアーノが岡山を創るのではなく、僕等が前を歩き、ファジアーノが後ろからついてくることで、岡山という街を創っていこうとしている。それにはどうしても、岡山のみんなの力が必要だ。
 だからこそ、このクラブが新たな未来の扉を開けんとするこの瞬間に、岡山を愛する仲間として、あなたにスタジアムで同じ時、同じ空間を過ごしてほしいと思う。

 相手は栃木SC。僕等と同じようにJリーグを目指すライバル。6月15日に行われた対ファジアーノ戦で、彼らはホームに7,253人の観客を集めた。今度は僕等が彼らを迎え撃つ番だ。

2008年11月19日 22:45 » ブログ